カネオヘの町の中心部からカヘキリHwy.を越えた山側の一画の、短く刈り整えられた美しい芝草の広場に到着すると、そこにはすでに少しずつ人々が集まり始めていた。
若い家族や年配の夫婦、あるいは気心の知れた仲間同士でやってきては、地べたに腰を下ろすのに手頃な大きさの敷物や、折りたたむことのできる一人掛けの簡易チェアを持ち込み、それぞれが思い思いの場所に陣取って、適度に緩やかな広がりを持った空間を作り出している。
太陽が西から斜めに射し込み、まだ十分に明るい休日の午後の広場に寄り集まってきたのは、この島の町で暮らす人々であり、そして、今の僕がそうであるように、島のミュージシャンたちが奏でる島の音楽を楽しむために、ここへやってきたのだ。
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「Voice of the People」カテゴリーアーカイブ
ミスター・サイミン
アイエアでモアナルアFwy.を降りてから99号線を西に向けて少しだけ走り、朝とも昼とも付かない食事を、僕は途中のワイマルで調達することにした。
ショッピングセンターの駐車場の、入口に比較的近い位置に車を停め、建物の正面に沿って並ぶいくつかの小さな店舗の前を歩いて通り過ぎながら、僕は一軒の食堂に掲げられた大きな看板を見上げた。
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Only Good Times
学び舎を巣立ち、出会った友や恩師との別れを惜しみつつもこれから進む新たな道に喜びと希望を見出していくのだといった、社会に出ていくほんの少し手前の年代のこの時期ならではの心情をうたった歌を、かつてこれまでに何度か経験した卒業という節目のたびに聞いたり覚えたりした記憶が僕にもある。
惜別と期待のいずれの気持ちに重きを置いたものであっても、それぞれに思い浮かべることができる名曲がいくつかあるけれど、その中で僕にとっての永遠のスタンダード曲を挙げるとしたら、Keola & Kapono Beamerの「Only Good Times」が間違いなくそのうちのひとつに値する。
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THE EDDIE 2011-2012|003:Eddie Would Go
2002年に初版が発刊された”EDDIE WOULD GO”は、1940年代半ばから70年代後半のハワイに実在した偉大なビッグウェイブライダー、献身的なライフガード、そして名誉あるホクレアのクルーであり、当時のネイティブ・ハワイアン文化復興の潮流にも大きな影響を与え多くの人々に慕われたエディ・アイカウ、実名をEdward Ryan Makua Hanai Aikauという、ひとりの男の生涯と彼が生きた時代のハワイの社会を克明に記録した書物だ。
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Mr. Sun Cho Lee
※写真と本文とは直接関係ありません。
例えばホノルルのダウンタウン界隈でふと立ち止まり、したたかに働く人々や、両手に食材の袋を抱えてバスを待つ人々を静かに定点観察してみると、実に多くの民族の顔立ちや、話す言葉や、垣間見えてくる日々の暮らしがあることがわかる。
そんなとき僕はいつも、ここには「Mr. Sun Cho Lee」に歌われる世界が具現されているのだということを実感する。
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Peace with ALOHA
あの日、僕の古くからの友人が、あのタワーの悲劇の現場から生還した10年前のきょう、おそらく世界中の多くの人々がそうであったのと同じように、僕もまた、雲ひとつない真っ青な空にそびえ立つ巨大な二棟のビルがあっけなく完全に崩壊していく、信じがたい現実を映し出しているテレビの前に立ち尽くしていた。
世界の秩序が変わってしまったその日から4日後、かろうじて運航を再開した数少ない太平洋路線の人となった僕が、グラウンドゼロから最も遠い同じ国の小さな島で見たものは、何もかもがトーンダウンして華やかな色を失ったホノルルの街の姿だった。
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ワイカネ・ストア | Waikane Store
曇りがちな午前中の穏やかな時間をカネオへで過ごした後、そのままウインドワード沿いを83号線で北西に向かいワイカネに差しかかった僕は、南の島の大きな木々の合間に住宅が点在する単調な風景の延長に建つ、一軒の古い小さなジェネラルストアの店先で車を駐めた。
Waikane Storeとかろうじて読むことのできる錆びた看板が掲げられた、ここにあることを知らなければいとも簡単に通り過ぎてしまいそうなこの小さなストアは、1898年にWah Chan Storeとして開店したのがその礎となり、今年で創業113年になる。
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リボンレイ職人。
高い技術と感性のよさ、そして、なにかにチャレンジする心意気と潔い行動力。
ひとつのチャンスに向き合ったときにこれらが有機的に作用することで、結果として大変によい出来映えをもたらす人に、時折出くわすことがあるものだ。
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